渡米しニューヨークに到着したレオーニは、広告代理店・N.W.エイヤーでキャリアをスタート。ユーモラスでモダンなイラストやデザインが評価されるほか、ヨーロッパのアーティストを広告に起用し、注目を集めることになった。会場では、段ボール箱メーカー・CCAや、レオーニが唯一「本物の」クライアントであったと回顧しているイタリアの企業・オリヴェッティなど、レオーニによる広告の数々を目にすることができる。
レオーニはアメリカで、スタインバーグやムナーリのほか、ベン・シャーンといったアーティストと交流している。画家のベン・シャーンは、アメリカの労働者や移民などを多く描き、アートを通した社会変革を訴えた。レオーニとは、段ボール箱メーカー・CCAの広告の仕事を通して知り合い、親しく交流するようになったという。ここでは、社会的な題材を描いた、シャーンのポスターなども展示している。
さて、レオーニがアメリカで本格的に油彩画に取り組むようになったのは、広告代理店・N.W.エイヤーの上司レオン・カープと出会ってからのこと。カープはアートディレクターであるとともに画家でもあり、レオーニは休日になると、彼から油彩画の技法を教わっていたという。本展では、アメリカ時代のレオーニの絵画を紹介。なかでも、実在の人物や想像上の人物を正面から描いた「想像肖像」は、200点以上が現存する、もっとも制作数の多いシリーズ作品となっている。
1950年代にアメリカでもっとも成功したアートディレクターとなったレオーニは、1961年、アーティストとしての制作に専念するべく、イタリアに帰国している。この地でレオーニは、絵画や彫刻など、さまざまな手法で作品を手がけることになった。本展の後半では、イタリアでの制作活動に焦点を合わせている。
イタリア時代における作風の変化のひとつは、肖像に見てとれる。アメリカ時代から続く「想像肖像」シリーズに見られる、人物を正面から描いた表現から、次第にプロフィール(横顔)へと関心が移っていったのだ。レオーニはこれを、「演劇性」に結びつけている。つまり演劇の世界では、登場人物が横を向いて互いに話すことで、物語が展開するのである。会場では、こうした「プロフィール」シリーズの絵画を展示している。
また、1969年トスカーナの山中に転居すると、その豊かな自然に触発されて、レオーニは「平行植物」シリーズに取り組むようになった。架空の植物を描いたこのシリーズは、油彩画からスタートしたものの、鉛筆画やブロンズ彫刻へと展開してゆくことになる。なかでも、ブロンズ彫刻の集大成となった《プロジェクト:幻想の庭》は2セット制作され、そのうちの1点は、長年の交流の証として板橋区立美術館に寄贈されている。本展では、さまざまな植物を表した《プロジェクト:幻想の庭》のほか、油彩画や鉛筆画の「平行植物」を公開している。
レオーニが初めて絵本を出版したのが、1959年、アメリカ時代のこと。レオーニはすでに、アメリカのデザイン界で成功を収めていたものの、自身の物語を自らの絵で表現できる絵本という表現形式に、新たな可能性を見出したのだ。以後レオーニは、文・絵ともに自ら手がけた物語絵本を27冊出版している。本展では、30年にわたる絵本制作の軌跡を紹介している。
レオーニが初めて出版した絵本『あおくんときいろちゃん』は、電車の中で退屈する孫たちを喜ばせようと、即興のストーリーを編みだしたことから生まれた。主人公は、青色と黄色の小さな円形というように、登場人物はすべて抽象的な形でありながら、その配置によって巧みに心情や関係性が表現されているのだ。そこには、デザイナーやアートディレクターとしての自身の経験が活かされているといえるだろう。
レオーニの絵本にはさまざまな生き物が描かれており、なかでもたびたび登場するのがねずみだ。初めて絵本にねずみが登場したのが、1967年の『フレデリック』である。冬に備えて仲間たちが食べ物を集めるなか、ねずみのフレデリックが集めるのは、一見すると役には立たない、色や光や言葉。けれども冬、食べ物が少なくなってくると、フレデリックは自分が集めたものについて、仲間たちに語って聞かせる。そこでは、想像すること、表現することが秘める力、そしてアーテイストの役割が示されているのだ。