映画『HOKUSAI』でW主演を務めた柳楽優弥と田中泯にインタビュー。異なる年代の葛飾北斎を演じた2人が考える、本作における北斎像や、現代に通ずるその魅力について話を伺った。
映画『HOKUSAI』で、おふたりは葛飾北斎の青年期と老年期を演じました。実在の人物を演じるうえで、どのような意気込みで撮影に臨みましたか?
柳楽:北斎の人物像についてはあまりよくわからない状態でした。代表的な「波」の絵などは知っていたのですが、演じさせていただくことになるまで人物像を意識したことがなかったんです。アーティストとしてのイメージなど、監督とともに、この映画ならではの北斎像を作っていこうと話し合い、撮影に臨みました。
田中:過去の人はわからないからこそ、演じるうえでの空想が重要です。
死んでしまうと、その人がどんな人だったかというのは、本当に残らないものです。今の絵画は「個人の思い」のようなものを表明するかもしれませんが、当時はそれとは絵画観が全然違いましたから、現在に伝わる絵からでは本当にわからないと思います。
確かに、北斎が考えていたことなどを一生懸命引きずり出して台本を作っているのですが、それでは不十分です。だからこそ演技する際は、自分の空想で北斎を演じていきました。
それぞれが演じられた北斎をご覧になった感想をお聞かせください。
柳楽:田中泯さんが演じられた北斎は、「きっとこういう人だったのだろうな」と想像してしまうほど説得力がありました。田中さん演じる北斎の青年期を演じさせていただけたことは、とてもラッキーだなと感じています。
田中:青年期の役は、難しかったと思います。同世代の表現者が周りにたくさんいるなかで、自分なりに悩むということ自体がとても難しい。僕は長く生きているから、逆にそのぶん焦点が見えている。けれども、その悩んでいるさま、同じ表現者との無言の関係にこそ、僕は文化が生まれる可能性があると思います。だからこそ、僕自身にとってもすごく勉強になりました。
『HOKUSAI』が描く北斎という人物の魅力は何でしょうか。
柳楽:「制限」のなかで表現をする姿です。北斎が生きていた当時は表現の制限があり、何でも好きなように描けたわけではありません。けれども北斎には、「制限があるからといって創作意欲を消される筋合いはねえんだ」という反骨精神が強いのだと思います。
「制限」があるからこそ創られるものがあるということですね。
柳楽:制限がある環境のなかで、いかに自分らしく表現していけるか考えることが僕は面白いと思います。映画でも、インディペンデント作品はさまざまな制限がありますが、そのなかで工夫して創りだす雰囲気が大好きです。自由すぎると、逆に不自由に感じることもありますよね。
田中:現代の僕たちは自由に思われているかもしれないけれど、行政区分であったり、不自由を感じることもあります。あるいは自分のなかでも、自ら制限していることがもっとあるかもしれません。言葉にして制限を表すことができないくらい、混沌としていると僕は思います。そういう意味では、「制限」がどこまでも巨大になっていく時代だと思います。
一方、北斎が生きたのは士農工商の時代。その意味では社会そのものが明白な制限を持っていました。それでも、商人は商人というように、それぞれが自分なりの場所を持っていて、考えようによってはそれが自由です。実際、そこに江戸の文化が花開いていました。今はカネが開いているけど、花は開いていないかもしれません。
北斎の新しさとは何だったのでしょうか。
田中:北斎は、絵を描く対象を決定的に変えた人だと思います。それまではおそらく、美人や美しい花を描いて、そして大衆の共感を得ていたわけです。けれども北斎は、同時代の人びとに共感を得られるかどうかも分からないもの、つまり波や人の身体、それも著名人でなく無名の身体を描きました。そこに僕は、ものすごい前衛を感じますね。
今でも、流行りのものをみんなが一斉に追っているけれども、そこから抜け出して視点のまったく異なることをするのは、大変なことだと思います。だからこそ、江戸時代にぐっと方向を変えた北斎の姿勢は、現代にも決定的に通ずるものだと思います。これは才能以上の何かが北斎にあったに違いないと僕は思います。
柳楽:現代だと、バンクシーなどもそういった存在でしょうか?
田中:本当のことはわからない。人気者中の人気者だから。今語ってもダメですね。本性もわからないし、100年後くらいにならないと。
柳楽:私生活が見えないというところが、アーティストのかっこよさでもあるのだと思います。
田中:ただ、現代は作品さえ良ければ、あとは何をやっても良いという時代ではなくなってきていると感じます。少し前までは、作品さえ良ければ後は何でも良かったのかもしれない。21世紀は作品以外のことも求められる。いわば、“作品さえ良ければ芸術家の実像は問われない”ということが崩れる世紀ではないでしょうか。
演じることで見えてきた、北斎の魅力をお聞かせください。
柳楽:まず「制限」への反骨精神です。「制限」は、どの時代にもあると思いますが、自分の信念に向かって突き進むという意欲まで時代に奪われる必要はないのではないかと感じました。それは大切に守りたいですね。
また、ひたむきに好きなものへと常に向き合い続けることによって、人生はとても豊かになるのだということを気付かされました。それは役者である僕らだけでなく、誰しもが共感することのできるテーマなのではないでしょうか。
田中:あらためて北斎を省みると、やはり従来の絵画を決定的に変革したものを持っています。それは、自然を、人びとの営みを「見る」ということです。街に出て、人の一瞬間の身体、一陣の風を夢中に描く。それがたとえば『北斎漫画』に結実します。世界中を探しても、北斎が描くほどの人の身体を残している画家はいないかもしれません。
この作品を観て、「北斎ってこうだったんだ」とは捉えないでほしいです。まだまだ分からないことが多いけれども、でも強烈だった、生きることに必死だったという観点から、北斎像をいきいきと探っていただけると嬉しいですね。
映画『HOKUSAI』
公開日:2021年5月28日(金)全国ロードショー
監督:橋本一
企画・脚本:河原れん
出演:柳楽優弥、田中泯、阿部寛、永山瑛太、玉木宏、青木崇高、瀧本美織、津田寛治、辻本祐樹、浦上晟周、城桧吏、芋生遥、河原れん
配給:S・D・P
〈ストーリー〉
腕はいいが、食うことすらままならない生活を送っていた北斎に、ある日、人気浮世絵版元(プロデューサー)蔦屋重三郎が目を付ける。しかし絵を描くことの本質を捉えられていない北斎はなかなか重三郎から認められない。さらには歌麿や写楽などライバルたちにも完璧に打ちのめされ、先を越されてしまう。「俺はなぜ絵を描いているんだ?何を描きたいんだ?」もがき苦しみ、生死の境まで行き着き、大自然の中で気づいた本当の自分らしさ。北斎は重三郎の後押しによって、遂に唯一無二の独創性を手にするのであった。
ある日、北斎は戯作者・柳亭種彦に運命的な出会いを果たす。武士でありながらご禁制の戯作を生み出し続ける種彦に共鳴し、二人は良きパートナーとなっていく。70歳を迎えたある日、北斎は脳卒中で倒れ、命は助かったものの肝心の右手に痺れが残る。それでも、北斎は立ち止まらず、旅に出て「冨嶽三十六景」を描き上げるのだった。そんな北斎の元に、種彦が幕府に処分されたという訃報が入る。信念を貫き散った友のため、怒りに打ち震える北斎だったが、「こんな日だから、絵を描く」と筆をとり、その後も生涯、ひたすら絵を描き続ける。描き続けた人生の先に、北斎が見つけた本当に大切なものとは──。