世界中のストリートに社会風刺的なアート作品を残す、神出鬼没の匿名アーティスト・バンクシー。最近では《風船と少女》をめぐる“シュレッダー事件”や、東京港区の防潮扉に描かれたネズミの絵などの話題が記憶に新しいだろう。この特集では、バンクシーの代表的な作品を紹介しつつ、その多彩な活動と特徴を概観したい。
さらに、2020年から2021年にかけて東京・横浜・大阪など日本国内で開催されるバンクシーの展覧会情報もあわせて紹介。実際に足を運び、作品を楽しんでみてはいかがだろう。
イギリスを拠点にストリートアートを手がけるバンクシーではあるが、その活動は街中の壁や橋だけには留まらない。まずは、バンクシーの名前をひときわ有名にした作品や出来事を幾つかピックアップして、多岐にわたる活動の一端を見てみよう。
最近とりわけ注目を集めたのが、2018年10月、ロンドンのオークション「サザビーズ」で起きた“シュレッダー事件”だろう。バンクシーを象徴するモチーフを描いた《風船と少女》が、落札直後、額に仕掛けられたシュレッダーにより裁断されたのだ。もちろんこれはバンクシーの手によるもの。アートをお金で価値づけるオークションという場で、そこに居合わせる人びとを驚かせるパフォーマンスを演じてみせたのだった。
2003年の秋、ロンドンのテート・ブリテン美術館。館内に入ったバンクシーは、ある1室の壁の前で立ち止まり、空いたスペースに額装した作品を勝手に展示した。その隣には、“Banksy”と記したキャプションまでも。ここでバンクシーは、作品を盗むのではなく勝手に飾ることで、美術館への皮肉を込めたようだ。また、一連の行動を捉えた監視カメラの映像を自分の著書に掲載しており、現代の監視社会への再考を促している。
これらの例に見るように、バンクシーには、オークションや美術館といったアートを制度化する場へと侵入し、内側からユーモアを込めて批判をする姿勢が見て取れる。また、作品とともに一連のプロセスがしばしばパフォーマンス性を帯びているのも特徴だ。
バンクシーは、今なお紛争が続くパレスチナにも作品を残している。ここでのキャンバスの1つは、この地に長く住み着いていたパレスチナ住民を隔てるため、パレスチナ政府が築いた“分離壁”だ。たとえば、風船を手にして宙に浮く少女は、そのまま壁を越えてゆくかのように表現されている。また作品は分離壁だけでなく、建物の壁にも。手榴弾の代わりに花束を投げつけようとする男性の絵は、とりわけよく知られる1作である。
さらにバンクシーは、2017年、パレスチナにアートホテル「ザ・ウォールド・オフ・ホテル(THE WALLED OFF HOTEL)」を造る。部屋の窓から見えるのは、立ちはだかる分離壁、そして壁の向こうには近代的なイスラエルの街並み──このホテルが“世界一眺めが悪いホテル”と銘打たれるゆえんだ。また館内には、スカーフを巻いた男と兵士が枕で争う姿を描いた作品など、パレスチナ問題をバンクシー流に風刺する作品が並んでいる。
このように、描かれた場所と強く結びつく作品は、ストリートアートの特徴でもある。そのなかにあって、クリアなメッセージ性、そしてユーモアと皮肉にあふれる表現が、バンクシーの特徴だといえる。
およそ20年にわたり、素性を明かさず偽名で活動を続けてきたバンクシーは、イギリス西部の港湾都市ブリストルが故郷だとされる。グラフィティ文化の盛んであった同地で、バンクリーもやはりグラフィティライターとして活動を始めた。そして型紙を用いたステンシル作品へと移行し、独自の表現を生みだすこととなる。ここではそうしたバンクシーの特徴を、ストリートアートの文化と匿名性に着目しつつ紹介する。
1970年代のニューヨークで発達したグラフィティは、スプレーなどを用いて、地下鉄の車両や街中の壁に書き手の“名前”を残す──すなわち「わたしはここにいた」という痕跡を残す──ことだ。それはいわば、大勢の人びとのなかへと自己が埋もれることに抗う、自分の“顔”のようなものだと喩えられよう。街中のより多くの場所に自分の名前を残すことで書き手同士が競いあうのみならず、素人では読み取ることのできない書法を編み出すなど、グラフィティは独自の文化を育んでいった。
一方、文字に限らず図像も描くストリートアートは、グラフィティが排他的な文化圏を形成するのとは逆に、あらゆる人に訴えかける。そして時に、社会不満といったメッセージが仮託される。道を行く人びと皆の目にふれ、街の空間に呼応するような表現を投げかけるのがストリートアートなのだといえよう。
では、なぜバンクシーは匿名で活動を続けるのか? 1つには、私有物や公共物に、文字や絵を“勝手に”かくのが法に触れるためであろう。自身の身元が割れるのは、ストリートで活動するアーティストにとって、いわば死活問題だといえる。
また匿名であることによって、自らの出自に制約されずにメッセージを送ることができる、という点もあるかもしれない。現代社会への批判や人の苦しみを代弁するうえで、重要なのは描き手のアイデンティティよりもむしろ、メッセージ自体だからだ。
しかし匿名であろうとも、残した作品からは、バンクシーというアーティストの軌跡が星座のように立ち現われよう。そのようなバンクシー像に人びとは関心を持ち、街中の作品を見ようとその地を訪れる人も現れる。
たとえばパレスチナには、バンクシーの作品を見ようと世界各地からファンが訪れる。同地に住む一部の人びとには、パレスチナ問題を後目にバンクシーの作品を見てまわるファンに批判的な意見もあるという。しかし、足を踏み入れたからには、高くそびえる分離壁を目にせずにはいられない。バンクシーをきっかけとしてでも、パレスチナの歴史と現状を目の当たりにすることとなろう。
そのようにバンクシーは、ストリートといった公共の場に作品を残すからこそ、その場所へと人を引きつける。そして、そこで起こる問題を“知る”ことへと、自ら考えてみることへと誘っているのかもしれない。