20世紀の初頭は、デザイン面ではオリエンタリズムと取り入れたファッションが注目を集めた。そしてコルセットからの解放など女性ファッションの変化が起こった時代でもある。ブランドと香水が組み合わさったのもこの時代だ。
オリエンタリズムは現在の中東(イスラム圏)、インド、中国など「欧州から東方」をひとまとめにして、工芸品、美術、文学など様々な文化を、欧州のものに取り入れるムーブメント。西洋、西ヨーロッパにはない異文明の物事・風俗に対して抱かれた憧れや好奇心を指す。20世紀の初頭(20世紀の前後)に、オリエントの国々から影響を受けたスタイルが上流階級の中で流行したと言われており、コルセットの無いスタイルが広まったきっかけとも言われている。
一言で集約してしまえば、18世紀以前の世界は欧州より東方に中心、覇権があったから。現在では欧州に先進国がいくつもあるが、そうなったのは産業革命以降の話。逆転現象が起こるのが19世紀ごろの話。それ以前の欧州エリアは、いってしまえば発展途上国だ。
産業、カルチャー、軍事力でも圧倒的に東方の帝国の方が進んでおり、オリエント(東方)に興味が湧くのはごく自然の流れだった。
20世紀の初頭でもそのトレンドはあり、西洋にはないエキゾチックな雰囲気が当時の人を魅了したと言われている。このような20世紀初頭のシーンは映画「ムーランルージュ!」などでも題材とされている。
オリエンタリズムの動きの中心にいたのは、バレエのニジンスキーであったりファッションではポール・ポワレ。ポワレはインド、中東、中国、東ヨーロッパの服飾の要素、西洋絵画、古典ファッションまでを取り入れたデザインを展開。代表的なものが中国に影響を受けた「孔子コート」、ペルシャに影響を受けた裾広がりのチュニック「ソルベ」などだ。
なお、オリエンタリズムはあくまで憧れのようなものであり、インド、イスラム圏、中国の文化やファッションを正確に表現したものではない、ということは押さえておくべきポイント。歴史的に欧州から見ると、中東は目の上のたんこぶのような存在。珍しい、恐ろしい(野蛮)、エロスといった偏見も含めた入ったキーワードが当てはめられ、そして普及していた。
表現で言えば、それらを吸収した芸術家のイマジネーションから生まれたものであるのだ。ファッションも例外なく当てはまり、オリエントの文化そのものを忠実に表現したわけではなく、インスピレーションとなる、対象であったということである。
20世紀初頭までの西洋のファッションはコルセットを使用し、ウエストから上半身を極度に細く絞り、下半身は針金を輪状にして重ねたクリノリンという骨組みを使用して、スカートを大きく膨らませるスタイルをとっていた。オートクチュールが始まった際、ファッション業界のシステムは大きく変わったが、スタイル、シルエットの主流が変わることはなかった。
シルエットを支配していたコルセットを外すファッションを提案したのがポール・ポワレ。
ポワレはもともとシャルル・フレデリック・ウォルトのメゾンで働いていた。ドレープの美しさを表現したデザインを提案するが、メゾンからはポワレのスタイルは美しくないと判断され、メゾンから追い出されてしまう。その後、ポアレは自身のやり方を貫くために独立した。
ポワレはウエストの位置を上げ、高いウエストの位置から、布をドレープさせ、緩やかなシルエット、布の曲線の美しさを表現した。当時の有名女優がポワレの服を気に入り、積極的に身に着けるようになったことがきっかけとなり徐々に広がっていったそうだ。ほぼ同時期、ポワレ他にも、マドレーヌ・ヴィオネといった女性デザイナーもコルセットを外すデザインを提案していた。
時代の変化、活動範囲が広がったこと、スポーツなどレジャーのようなものが普及し始めたこと、そしてオリエンタリズムなど様々な要素が背景となりコルセットの無いスタイルが徐々に普及してく(すぐに普及したわけではない)。
徐々に流れは変わり、もともとポワレが在籍していたウォルトのメゾンは時代からとり残され、徐々に衰退する結果となる。なお、コルセットの代わりとして、体型をきれいに見せるものとしてブラジャーが登場してくるのもこの時期だ。
コルセットは体を締め付けること、抑制するもので、禁欲的な倫理観を表現したものであり、オリエント的なエロティシズムとは対象の存在だった。体のラインが見えるようなデザイン、オリエントの要素を取り入れた表現は、西洋にはエロティシズムの一種の表現だった。
ポワレのコルセットに関しては、社会的な意味で女性の自立や解放を目的としたものではなく、新しい美学への表現だったという指摘もある。つまり、コルセットを取り除いたのはオリエントの要素、美学を、ファッションに取り入れるために起こったもの、という主張でだ。(ポワレ自身は自伝にて「女性を解放した」と述べているが...)
香水といえばシャネルの「No.5」がもっとも有名で、歴史上もっとも売れた香水と言われている。ディオール、ジバンシィ、カルバン・クラインなどさまざまなブランドが発表し、現在では「香水=ファッションブランド」と言うイメージが定着している。それがいつ頃から起こったの?と言われるとこれも20世紀の初頭と言われている。
デザイナー、ブランドが、香水を発表するという試みを最初に行ったのがポール・ポワレ。
コルセットに続きここでもポワレが活躍するのだが、デザイナー(クチュリエ)が”服作り以外”の創作活動をすることがなかった当時としては革新的な出来事だった。ポワレは香水だけでなく、インテリアの事業も手がけており、自身のファッション、美学をライフスタイル全体で表現しようとした。それは新しいライフスタイルへの取り組みだった。
ポワレの娘の名前からネーミングされ香水「ロジーヌ」を発表。オリエントの影響を受けた、エキゾチックな香だった。その後、「奇妙な花」、「禁断の果実」など、さまざまなシリーズをリリース。そしてポワレは、ただ単に香水を発売しただけではなく、香水トータルのイメージを造りだすために、香りの調合から、パッケージやボトルのデザインも手がけていた。
香水「ロジーヌ」はそれなりの成功を収めるが、ファッションブランド、デザイナーが香水を発表することが一般的化するのは、シャネルの「No.5」が爆発的なヒットとなった後のこと。