ドクターマーチン(Dr.Martens)の通称“8ホールブーツ”として愛される「1460」ブーツは、1960年に誕生したブランドを象徴するピースだ。
60年もの長い歴史を持つこのアイコンブーツには、数々の誕生秘話やユニークなエピソードが存在している。ドクターマーチンのブランドヒストリーを紐解きながら、今なお世界中の人々に愛され続ける「1460」8ホールブーツの誕生秘話や人気の理由に迫った。
ドクターマーチンのアイコン「1460」8ホールブーツの歴史は、戦後の1945年、ドイツ・ミュンヘンからはじまる。医師のクラウス・マルテンス博士が、バイク事故やスキーで怪我を負った自身の足でも快適に履くことができるブーツを開発。戦後に残っていた靴修理屋の靴型と針、廃棄されたゴムタイヤを材料として、エアクッションソールを備えたブーツを発明した。
マルテンス博士は、機械工学の知識を持つ大学時代の旧友ヘルベルト・フンク博士の協力を得つつ、ブーツを製造。1959年には海外の雑誌などで宣伝を開始した。この革新的なエアクッションソールの広告が、1901年からイギリスで製靴業を営み、ワークブーツの老舗としてその名を轟かせていたグリッグス家の三代目ビルの目に留まる。
エアクッションソールの製造特許を獲得したグリッグス家は、「エアウエア(Air Wair)」のブランド名と、“弾む履き心地のソール(With Bouncing Soles)”のスローガンと共に、8ホールブーツを発売することに。こうして誕生したドクターマーチンの8ホールブーツは、生産ラインが1960年4月1日にスタートしたことから「1460」と名付けられた。
ドクターマーチンを象徴するディテールが完成
ドクターマーチンのブーツのアイコニックなディテールが完成したのはこの時。グリッグス家は製造特許を獲得した上で、マルテンス博士のブーツにいくつかの改良を加えた。丸みを帯びたシンプルなアッパー、イエローのウェルトステッチ、ソールの周りに入れたエッジ、そしてユニークなソールパターンを備えたブーツが完成した。紐を通す穴が8か所あるため、“8ホール”ブーツと呼ばれるようになる。
ドイツの最先端のエンジニアリングと、イギリスの伝統的なクラフトマンシップの融合によって誕生した8ホールブーツは、当初、“2ポンドで買うことができるワーキングブーツ”として、イギリス労働者階級の郵便配達員や工場労働者に浸透。
ところが1960年代後半になると、反体制的な思想を持ち、頭を剃り上げた若者「スキンヘッズ」たちが、労働者階級の象徴であったドクターマーチンの8ホールブーツを、ユニフォームのように着用するようになる。
1967年には、「ザ・フー」のピート・タウンゼントが、労働者階級の誇りと反逆的な姿勢の象徴としてドクターマーチンを着用。この頃から、ドクターマーチンの8ホールブーツは、サブカルチャーやイギリスのミュージックシーンを象徴するファッションアイコンとして広く知られるようになる。
ドクターマーチンを愛用した大物ミュージシャン
ドクターマーチンの8ホールブーツを愛用したのはピート・タウンゼントだけではない。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーンなど、名だたる大物ミュージシャンたちから支持を得た。その後、ザ・スミス、オアシスなどもドクターマーチンを着用している。
1970年代には、英国のユースカルチャーの中核を成し、自己表現のシンボルとして成長していく。
1980年代には、ツアーでイギリスを訪れたアメリカのハードコアバンドがドクターマーチンを西海岸に持ち帰ったことで、アメリカのサブカルチャーにも8ホールブーツが浸透。1990年代には、世界的なフェイスティバルカルチャーの盛り上がりと共に、フェスシーンの代名詞となる。