1945年、ドイツの医師、クラウス・マーチン(クラウス・マルテンス)がドクターマーチンソールを開発。
ドクターマーチン(Dr.Martens)は、イギリスのシューズブランド。アイコンシューズは8ホールブーツ(8EYE BOOTS)。優れた耐久性から、1960年代に、ブルーワーカーと呼ばれる労働者から絶大な支持を得た後、イギリスのロックバンド「ザ・フー(THE WHO)」のピート・タウンゼント(Pete Townshend)がドクター マーチンの8ホールを履いたことで音楽の場でもアイコンとして若者に取り入れられる様になった。特に、パンクスに多く着用され、反体制を謳うときや、戦いの場でドクターマーチンがよく履かれてきた。
1945年、ドイツの医師、クラウス・マルテンスがスキーの事故に遭遇した際に、リハビリ用に、タイヤのラバー素材に空気を入れて、ドクターマーチンソールを開発。古いタイヤをアレンジしたものだが、クッション性に優れていたという。
1947年、機械工学の知識を持つ大学時代の旧友ヘルベルト・フンク博士の後押しもあり、これをドイツから商品化した。
1959年、海外の雑誌などで宣伝を開始。これを目に留めたのが、1901年からイギリスで製靴業を営んでいたワークブーツの老舗的存在R.グリックス社。グリックス社が、エアクッションソールの製造特許を獲得した。
1960年4月1日、グリックス社はいくつかの改良を加え、最初のブーツ「1460Z」を発表。(1460Zは発売日に由来したコードネーム)。ドクターマーチンの8ホールブーツのトレードマークが完成したのはこの時で、丸みを帯びたアッパー、イエローのウェルトステッチ、ソールの周りに入った独特のエッジ、ユニークなソールパターンを備えたブーツを発売した。
当初はワークブーツとしてのイメージが強く、おもに、労働者階級が作業用途で、郵便局員、警官や工場労働者が使用した。
1960年代後半、反体制的な思想を持ち、意図的に髪を剃り上げるスタイルの「スキンヘッド」に浸透。彼らが労働者階級の象徴であったブーツとジーンズを着用することで、若者たちの間に徐々にファッションアイテムとして広がっていく。
1967年、ザ・フーのピート・タウンゼントが着用。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クイーンなどの大物ミュージシャンから支持を集め、拍車をかけるように人気が高まっていく。その後、ザ・スミス、オアシスなどもドクター マーチンのブーツを着用している。世界的に著名な映画監督・キューブリックの代表的な映画、『時計仕掛けのオレンジ』でも使用された。
1970年代、英国のユースカルチャーの中核を成し、自己表現のシンボルとして成長。
1980年代、イギリスをツアーで訪れたアメリカのバンドが西海岸に持ち帰ったことで、アメリカにも8ホールブーツが浸透。
1990年代、世界的なフェイスティバルカルチャーの盛り上がりと共に、8ホールブーツがフェスシーンの代名詞に。
2002年、売り上げが劇的に減少。破産を避けるため、英国の工場の1つを除き、その他すべての工場を閉鎖する。
2003年、この頃から、8ホールブーツに新たな風を吹き込むために、世界的ファッションデザイナーや有名ブランドとのコラボレーションをスタート。
2007年、ノーザンプトンに残るコブスレーン工場で、ハンドメイドによるドクターマーチンのオリジナルラインの生産を開始。
2016年、シリーズ「ディーエムズ・ライト(DM's LITE)」を発売。吸湿性のある低反発素材を使用したインソールと、タフさ・柔軟性を兼ね備えた超軽量アウトソールの組み合わせにより、抜群の快適さと耐久性を実現したシリーズ。
2020年、「1460」8ホールブーツ誕生60周年を記念した「THE 1460 REMASTERED」プロジェクトを実施。ヨウジヤマモト、アンダーカバー、ア コールド ウォール、ニードルズ(NEEDLES)などとのコラボレーションブーツを発売する。
2022年、グローバル・クリエイティブ・ディレクターにダレン・マッコイ(Darren McKoy)が就任。