1980年代ファッションの特徴であった、ポストモダン、ゴージャスな装飾から、1990年代は、よりミニマルなデザイン、そしてコンセプチュアルな方向へと変わっていく。
ミニマリズムとは、美術・建築などの造形芸術分野において1960年代のアメリカに登場した傾向で、必要最小限を目指す手法を言う。言葉としての由来は最小限(Minimal)主義(ism)からきている。芸術面で言われる、ミニマリズムは、抽象美術の純粋性を徹底的に突き詰めたものなので、ファッションでは少し意味合いが異なる。
ファッションでは1990年代に主流となったミニマルデザインは、もう少し単純なもので、装飾的な要素を最小限に切り詰めた、シンプルでシャープなフォルムのデザイン。装飾を削ぎ落としたシンプルなものであれば、たいていはミニマルと表現されている。
ヘルムート・ラングが、「ミニマリズムの旗手」と呼ばれている。ラングは、1980年代後半あたりから装飾的なものや技巧的なものを排除し、最限の手法でシャープなスタイルを提案し、多くのデザイナーに影響を与えた。
シンプルなデザイン自体は、アルマーニやジル・サンダーも早くから取り入れていたが、「ミニマリズム」と言われるものを完全な形にしたのはヘルムート・ラングと評されている。アルマーニはミニマリストと言うよりは、機能性を追及した結果、シンプルになったという印象で、ミニマリストとは表現されないことが多い。
ハイファッションでは1980年代後半にマルタン・マルジェラが打ち出した、シャビ―なスタイルが、後に世界に広がるグランジファッションの先駆と言われている。
高級志向、消費社会を象徴するシステムへの疑問、アンチテーゼがあり、リサイクルなどの動きがでてくる。マルジェラは1980年代前半のヨウジヤマモト、 コム デ ギャルソンの影響を受け、古着を素材にとして衣服を再構築した「シャビールック(shabby look)」を発表。シャビ―とは簡単に言えば乞食のような恰好、貧困者風のスタイル。色あせたり、ほつれたり、わざと古着風に仕上げるなど、
ファッションの世界にコンセプトを持ち込んだと言われており、1980年代の保守的かつゴージャスな流れが変わったとも言われている。これに影響を受け、90年代前半に当時ペリーエリスのデザイナーをしていたマークジェイコブスがグランジファッションとしてコレクションを発表していた。
マルジェラがこれまでのデザイナーと異なるのは、衣服と社会との関係性、その概念を問うたことにある。ファッションがそれまで体形との関係性、美しさ、機能性を追求する中で、おそらく初めてコンセプチュアルデザインが登場したのだ。
デザインプロセスを見直し、一度衣服を解体して、また構築する。
「パンツがジャケットになる」というようにあるパートが別のパートに変わる、「必要以上に大きな服」などこれまで”普通””ベーシック”とされていたものを改めて問うた。コム デ ギャルソン、フセイン チャラヤン、ジョン ガリアーノなど多くのデザイナーに影響を与えた。
ミニマルかつコンセプチュアルなデザインを追求したデザイナーが、フセイン・チャラヤン。チャラヤンのデザインは、シンプルだけれども、哲学的かつ建築的。土の中に服がある、服が動くなど様々な試みを行った。彼は、自身のデザインについて次のように語っています。「何かをデザインするのは、機能があってこそ。デザインは最終的にミニマルに帰着します。しかしその作品の中にたくさんのリサーチや思想が詰め込まれているのです。」
グランジファッションとは、1990年代前半に流行したグランジロックから派生したファッション。もともとグランジー(grungy:汚い)という俗語が語源で。代表的なものは、着古して擦り切れたネルシャツ(棉でできたフランネル地のシャツ)やカーディガン、穴の開いたジーンズやスニーカーなど。着くずしやレイヤードスタイルなどが特徴だ。
へヴィメタル、USハードコアの流れを組む音楽は、グランジロックと呼ばれ、ニルヴァーナはその代表的なバンドだった。セカンドアルバムの「ネヴァーマインド」は全世界で800万枚以上売り上げる。ニルヴァーナと同じ時期にソニック・ユース、パール・ジャムなどシアトルを活動拠点としたバンドが次々と登場してくるが、いずれもシャビ―なスタイルをしていた。彼らのロックは「オルターナティブ・ロック」や「グランジ・ロック」と言われるようになった。
グランジファッションはニルヴァーナのヴォーカル、カート・コバーンが大きなシンボルとなって広まっていく。
グランジロックと同じころ、アメリカではもう1つの音楽が注目を集めていた。ヒップホップだ。それはニューヨークのアフリカ系アメリカ人のカルチャーそのもので、黒人社会のアイデンティティを示すものとして誕生する。1970年代、日常を表現する言葉にリズムを乗せる「ラップ」はもともとは黒人居住区ブロンクスから生れたストリートミュージックだった。
「ラップ」はメロディ、コードを捨ててリズムだけを頼りに言葉にある韻律を強調し、主張や生活、不満をぶちまける。ラップミュージックは1990年代にパブリック・エナミーなどのグループにより全世界に広がっていく。ラップに乗せたブレークダンス、DJ、グラフィティ、そしてファッションが徐々にストリートカルチャーの中で確立されていく。
ファッションとしての特徴はトレーナー、金の鎖、スニーカー、スポーツ用ジャージーがベース。またオーバーサイズのズボンは下着が見えるくらいまで下に落としてはく、靴紐は締めないではくなどがあげられるが、これらは刑務所の中から生まれたもので社会に対する不平等を皮肉として表現した。ヒップホップはアメリカの抱える不平等、人種差別など社会問題の中からアイデンティティを示すものだった。
90年代半ば、そのようなヒップホップもカウンターカルチャー的な意思を置き去りにして、商業主義の中に引き込まれていく。ラップミュージシャンはスターになり、日本でもヒップホップファッションが流行した。