コム デ ギャルソン・オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)の2024年春夏コレクションが、2023年6月23日(金)、フランス・パリにて発表された。
目に見えるもの、手に触れられるもの、あるいは日々それとして捉えているものは、真なるものだろうか──今季のコム デ ギャルソン・オム プリュスのテーマ「Beyond Reality」に誘われてこう考えることで、現実=実体と仮象=見かけを攪乱してやまない、そのコレクションにひとつの補助線を引いてみたい。
実体と見せかけの境界を揺らがせるわかりやすい方法のひとつが、トロンプルイユ=騙し絵だ。西洋絵画では、2次元の画面に迫真的な絵画を描くことで、それらがあたかも3次元的に存在しているかのようなイリュージョンを与えるものである。こうしたトロンプルイユはコレクションにおいて、ジャケットの上に施したジャケットの図柄、カーテン、玉座や祭壇といったモチーフにおいて展開されている。これらのモチーフはいずれも、権威的な存在を表象するであるもののように思われる。つまりここでは、権威の仮象性を見てとることができる。
上で何の保留もなしに「ジャケット」と書いたが、テーラードジャケットについて共有されるイメージも、ここではかき乱される。あるコートにおいては、シングルブレストジャケットを両サイドに組み込むことで、複合的な造形に。別のジャケットでは、前後にいわゆるジャケットのフロントデザインを採用。あるいはテールを施したジャケットは、前後を反転させて仕立てられている。ここで、解体・再構築的なデザインが基底にあることは言うまでもない。
このように、一般に捉えられているテーラリングの全体と部分は、その区別を失墜させられる。そればかりではない。構造と装飾という、通常は互いに相反する関係性も問い直される。その好例が、ショルダーパッドを露呈させたジャケットだろう。通常、身体のフォルムに呼応し、衣服のシルエットを力強く、安定させて見せる働きを担うショルダーパッドは、過剰に剥き出しにされることでその構造上の役割が揺らぎ、装飾性へと移行しているといえよう。
あるものがその実体とは異なるイメージとして愛でられるのが、いわゆるフェティッシュである。その特権的な対象に、滑らかに曲線を描く髪を挙げることができる。つまり、ある人を愛でる代わりに、その髪に当の愛すべき人を感じるというものである。それならば、随所にあしらわれた髪のような装飾は、まさしくフェティッシュをウェアに導き込んでいるのではなかろうか。いや、むしろ愛でる対象をこそ真に愛でているのであって、それをフェティッシュとして捉えるのが、ここで問い直されるべき「現実」なのかもしれない。