2005年のデビュー以来、映画、ドラマ、CMと多数の作品に出演し続ける俳優・高良健吾。2019年には、映画『多十郎殉愛記』『アンダー・ユア・ベッド』『葬式の名人』など主演作品が続々と公開し、俳優界においてますます存在感を増している。
地元熊本と東京を行き来しながら始めた俳優業を続けて10年以上の月日が経った。その間「第56回ブルーリボン賞主演男優賞」や「第28回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 主演男優賞」など様々な賞を受賞し、目まぐるしい成長と活躍を遂げてきた高良。30歳という人生の節目の年を超え、俳優“高良健吾”は何を思い、演技に臨むのか。これまでと今の自分の違いや、これからの目指す俳優像についての話を伺った。
主演を務めた2019年7月公開の映画『アンダー・ユア・ベッド』では、とても狂気的な役柄を演じられてました。演じるにあたってどのようなことを考えましたか?
10代後半から20代前半ぐらいの時によく演じていたテイストの役に似ているなと思って、当時の役や作品を思い出しました。役者の世界に入ったばかりで自分が何も知らないような時にこういう狂気的な役や過激な役が多かった。
それで久しぶりにそういう役を頂いて、あの頃とは違う気持ちで役に向き合えたらいいなと思って臨みました。自分がどういう距離感で役と作品に向き合うかが楽しみでした。
どのような距離感で演じられたのですか。
“成り切る”ということに距離をあけることをイメージしました。僕は役に“成り切る”のと、役としてその場に“居る”というのは別だと思っていて、その“居る”という方を徹底的にやりたいなと考えました。
話は戻りますが、今、20歳の頃を振り返ると?
狂気的な人物を演じる際、今振り返ると、俳優活動を始めたばかりの頃は、自分と役(キャラクター)や作品との距離感が近すぎて、何事も自分の問題にしすぎていたなと思います。
多分10代後半とか20代前半っていうのは、やっぱり役に“成り切る”ということに引きずられていました。役に成り切るために自分がノーだと思っていることをイエスと思わなきゃいけないと考えたり、そんな作業が結構大変で。
先にも話しましたが、30代になって役を演じるにあたり、僕は距離を持ってやったつもりなんです。昔は何かをするにしても自分が入った入り口が分からなくなっていたんでしょうね。もちろん、意識して入り口が分かるようになりたいなと取り組んでました。だから、今は、どこから入ってきたか立ち位置が分かる。
今は距離をあけられるようになった。
はい。だけど、現場で“いつもと様子が違ったよね”と言われることもあって。自分では役との距離感を意識していたはずなんだけど、やっぱりそういう風に無意識に演じている役が外に出てきてしまうんだ…と思いましたね。
自然と演じている役の個性や特徴が外に出てきてしまうということですか?
そうですね。出したくないけど、出てしまう。それをちゃんと自分で分かっていないといけない。色が出ることに気持ち良くなるのもダメだと思いますし。出てきてしまうから、それをどういう風に扱っていくかを考えることが大事だと思います。
30歳を迎えて以前と変わったと思うことは?
昔より芝居が好きです。とはいえ苦手だなあと思う部分は今でもある。昔10代20代は、そんな苦手なことに対して、超えられない自分の気持ちの部分がありましたが、今はなくなりました。だから純粋に楽しいし、“苦しいこと”も楽しめる。そして、そんな“苦しいこと”がありがたいと思う気持ちが強くなりました。
吹っ切れた?
もしかしたら吹っ切れたということかもしれないです。ただ、吹っ切れたということではなくて、それに近いものである気がしています。
高良さん自身に影響を与えた、人生で忘れられない出来事はありますか。
そういうのは沢山あるんです。だけどやっぱり、人生の半分はもうこの世界にいるんだと思うと、役者の世界に足を踏み入れたこと自体が大きなことなんでしょうね。僕の人生を大きく変えていると思いますし、この世界に育ててもらっている気がしますね。
高良さんの人生を変えた役者の世界で、演技をする時に最も大事にしていることは何ですか。
演技を通して10人中10人に同じ気持ちは伝わらない。演技は見てくれる人が勝手に解釈するものであって、必要以上のことはしなくていいと思っています。それは昔からずっと同じで、こちら側からああなんだよ、こうなんだよって意見を観客に提示しすぎなくていいのかなと思います。もっともっと現場レベルで俳優の演技は終わっていいと思っています。