日本を代表するブランドとして、日本のみならず世界のファッション史において大きな功績を残してきたイッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)。現在、そのウィメンズデザイナーを務めているのは宮前義之だ。
宮前の創作には、常にイッセイ ミヤケが大切にしている「一枚の布」という概念がある。今回は、インタビューを通して、その「一枚の布」を軸に活動してきた宮前のこれまでを振り返りながら、イッセイ ミヤケ独自のものづくりを紐解いていく。
イッセイ ミヤケの服づくりの中で「一枚の布」という言葉はキーワードになっています。この言葉の意味を教えてください。
「一枚の布」は、イッセイ ミヤケの服づくりの基盤となる哲学そのものです。東洋・西洋の枠をこえ、身体とそれをおおう布、その間に生まれるゆとりや間の関係を根源から追求する思想でもあります。1本の糸から研究し、オリジナルの素材をつくるところから、イッセイ ミヤケの服づくりがはじまることを表現した言葉です。
受け継がれてきたイッセイ ミヤケのものづくりの思想を次に繋げていくことが私の使命としてありますから、この共通の概念はとても大切。しかし「一枚の布」の概念をひと言で語るのは簡単ではありません。ものづくりの現場でチームと共に手を動かしながら考えていかなければ答えは見えきませんし、そういったプロセス自体を重視しています。
それから、「一枚の布」の概念を説明するにあたって「A-POC」の技術は欠かせないものですね。「一枚の布」の概念と通じ合っています。
「A-POC」とは、どのような技術でしょうか。
「A-POC」とは、“A Piece Of Cloth(ア・ピース・オブ・クロース)”つまりは直訳で「一枚の布」のこと。1本の糸から一体成型で服をつくりだす製法を言います。
通常の服はパターンをパズルのように縫い合わせて作りますが、従来の服と大きく異なり、無縫製なので縫い目もない。機械から編み出された一枚の生地にはさみを入れて服を切り出します。ちょうど21世紀になるときに登場し、画期的だと世界から注目を浴びました。
編みの技術のみならず、織りの技術も積極的に研究開発していきました。例えば、襟は赤くしたい、袖は青くしたいと思いついたとして、素材を組み合わせるのではなく、1枚の生地の中にパターンを設計して、そこに襟は赤、袖は青といった情報をダイレクトにプログラムしていきます。
どのような点で、「一枚の布」の概念と通じているのでしょうか。
「A-POC」は、頭の中でこういう服を作りたいと思った時に、どんな素材だったらできるだろうとイメージを膨らませながら製作ストーリーを導きます。自分が創りたいかたちを、素材から設計していくのです。
「A-POC」の面白さや魅力はどういったところにありますか。
「A-POC」は、着る人が服づくりに参加することができ、着る側にも“自由度”があるものです。例えば、その服を買った人がハイネックを丸首にできたり、長袖を半袖にできたり。途中まではデザイナーが作るのですが、最終的な服の形は着る人に託すというか。それが「A-POC」の面白さだと思います。
それから、毎日気軽に身につけられるという点。誕生当初から象徴的なシリーズが「コットンバゲット」なのですが、バゲット=フランスパンから由来しています。これは、「フランス人が毎日食べるフランスパンのような存在であってほしい。毎日着られるような服であってほしい。」という想いのもとそう名付けられました。
こうしたイッセイ ミヤケ独自のものづくりにおける概念と技術。次は、それを踏まえつつ宮前義之のこれまでの経験について伺っていく。
次は、宮前さんのこれまでの経験についてお伺いします。まず、三宅さんとはどのような仕事をされていたのですか。
三宅から声をかけてもらい、入社当初からA-POC(三宅一生と藤原大が率いるプロジェクト)の企画に携わっていました。
先ほどのお話で“手を動かしながら一枚の布の概念を考える”とありましたが、宮前さんは三宅さんの傍でそのようにされていたと?
そうですね。入社してすぐ、三宅に近いところで仕事をしてきたので、その哲学を肌で感じて学んでいました。「一枚の布」という概念を指針に置きながらも、比較的自由にものづくりができ、新しいことにチャレンジできる環境が整っていましたから。
今思い返しても、私はひたすら手を動かして色んなことに挑戦させてもらい、徹底的にやらせてもらえたからこそ、「一枚の布」の考えを深めることができたと感じます。とはいえ、先ほどお話した通り、「一枚の布」という概念には決まった定義がある訳ではありませんし、ずっと向き合っていかなくてはならない永遠のテーマのようにも感じています。
入社後すぐに「A-POC」に携われるというのは、なかなか難しいことだったかと思います。素材には、もともと興味があったのでしょうか。
私は高校生の時から独学で服を作り始めて、専門学校に入ってから本格的に学びましたが、素材にさほど興味を持っていませんでした。だから入社3年後ぐらいまで挫折の日々でした。
どのような点で躓かれていたのでしょうか。
当時、三宅、藤原、そして私ともうひとり新人スタッフで定期的にミーティングをする機会が多かったのですが、素材の知識がなく、会話についていけませんでした。「違う惑星の言葉を話しているのではないか!?」と思うぐらい、理解できなかったです(笑)。
どのように克服していきましたか。
ひたすら工場に足を運び、機械のことから、糸のこと、染色のことまで、工場の方たちとやり取りをしながら全て現場で勉強しました。本を読んで簡単に覚えられるようなことでもないので、とにかく見て、触って、そして時には失敗もして……。
そして、3年後ぐらいにやっと知識が増えてきました。理解できるようになってからは、「A-POC」の服作りがとても面白くなっていきましたね。
私にとって「A-POC」は、デザイナーとしての原点なのです。
イッセイ ミヤケといえばプリーツが代表的な素材です。
プリーツは“奇跡みたいな素材”だと思います。伸縮性があって、持ち運びが便利で、身体が解放されるような感覚で着られる。あれほど誰もが、気負わずに着られる素材は他にない。
プリーツ素材のワンピースは、仕事帰りにヨガにも行けるし、ちょっとしたアクセサリーをつければオシャレなディナーにも行ける。出張となれば、くるっとまるめてコンパクトに持ち運べて、クリーニングに出さなくても、自分で洗濯すれば翌朝には乾いています。
「A-POC」にも通じるものがあって、着る側に自由度があります。それがほかのブランドにはない、イッセイ ミヤケならではのことだと思っています。
デザイナーに就任して最初のコレクションは、プリーツを封印しました。
毎シーズン何か新しいものを世の中に出すというのは、イッセイ ミヤケのデザイナーの使命でもありますから。何か新しいことをしよう。そして何かを変えようと。
ファッションは常に新しいことを求められているし、今までやってきたことを封印して、新鮮なコレクションをと思いプリーツを使いませんでした。