でも、そのあと2シーズン目にはプリーツを戻していますよね。それはなぜですか?
プリーツをなくしたのは間違った判断だったと思ったので、次のシーズンには戻しました。
どういった考えからですか?
プリーツという素材をイッセイ ミヤケはきちんと守っていかなければならないし、30年に渡って積み上げてきたノウハウを崩してはならない。すべてを変えるのではなく、“続けていくこと”をきちんとやるべきだと感じました。
一方で、ファーストコレクションで、自分のやるべきことがとても明確になりました。三宅たちと6~7年間にわたって「A-POC」に取り組んできた私の強みは、素材から服を作れることですし、それを活かすべきだと思いました。そうでなければ、私がデザイナーになった意味がない。
宮前さんがイッセイ ミヤケのデザイナーとしてすべきだと思ったことは何ですか?
イッセイ ミヤケの代名詞であるプリーツと「A-POC」を発展させることが私のやるべきこと。だから2シーズン目に軌道修正して、素材ともう一度向き合うことにしました。
素材と向き合うにあたって、どのようなことからスタートされたのでしょうか。
「A-POC」を通じて学んだことは、準備が服づくりにおける完成度の80%を占めるということ。
展開を予定する色や、生地の準備など、全てを徹底的にリサーチします。それさえできればチームにアイデアを共有したとき、メンバーが理解しやすく、一定以上のクオリティーのあるものができる。
2シーズン目の開発もそうでした。まずは、自分が持っているノウハウの中で、「この素材に熱をかければこう変化するのではないか」「樹脂を合わせればプリーツが変化するのではないか」というように自分なりの仮設を立てていきました。
そこからは現場に足を運んで、工場で仮説の検証です。
工場の方たちとのやり取りも重要になってくるのですね。
イッセイ ミヤケの技術は特殊なので、工場の方たちとのやり取りはとても大事です。長いスパンでビジョンを共有して、同じ会社のメンバーのように親密な関係を築いていかなければならない。いかにして足並みを揃えていくかが問われます。
工場の方とはどういったやり取りをされるのですか?
入社したばかりの時のように、何度も現場に足を運び、地道にすり合わせます。
ぱっと思い付いたようなことは、過去20年間、イッセイ ミヤケのものづくりに携わって来た私の先輩たちも当然思いついて、実際に形にしたことのあるものばかり。「前に発表したことがある」と言われてしまったり、ようやく新しいものを提案できたとしても、「それは製品として形にすることはできない」と回答されてしまったり。仮説のなかで、「これはできるか?」「できないか?」と実現可能ラインを徐々に明確にしていき、工場の方たちと新素材のビジョンを固めていきます。
できないと言われることもあるのですね。
最初はだいたいできないと言われますね。ビジョンを共有して、一緒に足並みをそろえて地道にやっていくしかないです。
小さな一歩でも「できた!」ということを工場の方々にも感じてもらい、お客さまに好評で販売につながると「売れました!」と報告して、次も一緒にやろうと思ってもらえるように結果と達成感を共に分かち合います。それでまた次の課題をクリアしていくという繰り返しです。
パリやロンドンを拠点にするほとんどの高級ブランドは、イタリアの職人が生地をブランドに提案し、デザイナーがその中からセレクトして服を作っていくということが多い。イッセイ ミヤケが違うのは、工場と1本の糸を作るところから共に始めるところです。
地道な進歩のなかで、新しいプリーツ素材「スチームストレッチ」を発表しました。
先の話に戻りますが、イッセイ ミヤケの代名詞であるプリーツと基本となる概念「A-POC」を発展させることが私のやるべきこと、とお話しました。「一枚の布」という概念に、プリーツの考え方を加える。
プリーツはひとつの襞(ひだ)が集まったものと捉えて、「A-POC」にその襞をかけあわせたらどうなるか。
最初に「スチームストレッチ」をパリ・コレクションで発表した時には、スタッフがアイロンで生地にスチームをあてるデモンストレーションをして“蒸気で縮む生地”ということを大きく打ち出しましたが、実は、水面下では更なる発展系を完成させるべくもがいていて、発表時は、理想の第一段階でした。「スチームストレッチ」が私が思い描いた理想のプリーツになったのは、最初の発表から2年経ってからのことでした。
思い描いた理想のプリーツが見えてきた後、さらに約5年間は、折り方の構造の変化や、新しい素材の掛け合わせによって「スチームストレッチ」の進化を段階的に発表していった。そして、ようやく「スチームストレッチ」で“プリーツと「A-POC」の発展”が完成形となったと感じた宮前は、新たな挑戦に踏み出す。
2019年春夏シーズンでは、新しい素材「DOUGH DOUGH(ドウドウ)」を発表しましたが、プリーツがなくなっていて驚きました。
2019年春夏シーズンのパリ・コレクションで「DOUGH DOUGH」という新しい素材を発表しました。手でねじる、丸める、揉む、折る、伸ばすことによって、自由につくった形状をキープすることができ、パン生地(英語:DOUGH)をこねるように自由にかたちを変えられる。また、日本語の「どう?」とも掛け合わせた言葉の由来ももっています。
プリーツの服とは、着る人を自由にする服という意味において、ものづくりの根底の部分で繋がっています。
発想の源になったものはありますか。
イメージしたのはパン生地。私自身、パンを焼くこともあるのですが、パン生地は、小麦と水をこねて好きな形にできるだけではなく、ピザ生地や飲茶といった様々な料理に応用できるもの。そういう素材を作りたいというのが最初の発想でした。
名前は、パン生地からできる「DOUGHNUT(ドーナツ)」の「DOUGH」から由来して「DOUGH DOUGH」です。
「DOUGH DOUGH」の特長を教えてください。
これにも「一枚の布」の概念を取り入れています。服、バッグや帽子などの小物、すべて正方形をベースにしました。形は複雑なものではありません。特殊な形状記憶機能を持つ糸を織り込んだ「一枚の布」は、手でくしゃくしゃとかたち作ると立体的な形が保たれる仕組みです。
「A-POC」と同じく、着る人が自由に形を変えて、服作りに参加して着る服でもあります。
製作にあたって、これまでの服と異なる難しさは感じましたか。
これまでより自由な服なので、着る人が難しいと感じるかもしれません。「DOUGH DOUGH」は、女性のヘアスタイルやメイクと一緒で、形が思い通りに行く日もあれば行かない日もあるだろうから。
でも、そんな日があってもいいじゃないですか?「DOUGH DOUGH」の“ドウ”には、「どう?」って相手への伺いの意味も込めているのです。今はSNSで自分を発信して、個人がメディアの役割を担う時代だから、私たちの作った服もコミュニケーションの手段になりうるかもしれない。そんな可能性も秘めた素材だと思っています。
その第1歩となる2019年春夏シーズン、クリエーションを通してたどり着いた答えは何でしたか。
“自遊”という言葉です。“自”は、「おのれ、自然に、想いのまま、自在、自由」、“遊”は「遊ぶ、楽しむ」の意味。“自遊”は、私自身がイッセイ ミヤケの服に袖を通したときに感じることでもあります。自由な気分になれたり、気持ちが解放されたり。それは、イッセイ ミヤケの服の特長でもあると思っています。
現代では、女性も様々な生き方が尊重されているから、尚更それが大事になってくるのかなとも。育児や家事に励む人がいたり、世界中を飛び回るひとがいたり、起業して人前に出る人がいたり。だから、あらゆるシーンを想定できるような服として「DOUGH DOUGH」は提案していきたいと思っています。例えるなら“Tシャツ的な服”。
“Tシャツ的な服”とはどういうことですか。
日常に溶け込むということです。ワンシーズンだけじゃなくて、いつの時代も不変的で、いつ着ても古く見えない服。
「DOUGH DOUGH」がこれから先どのように発展するか、まだ分かりませんが、これから開発を継続し、色んな気づきを得ていけば、おのずと答えが見えてくるはずだと思っています。
宮前さんは、今後デザイナーとしてどのような服づくりを目指していきたいですか。
私がデザイナーに就任して以来イッセイ ミヤケは、どうしても技術的な部分に偏りがちだったのでは、と感じています。今後は技術だけの進化だけに留まらないようにしたいですね。
そのために必要だと思うことはありますか。
服作りの背景に物語が、絶対に必要だと思っています。物語は服の在り方を変えますから。
例えばレストランへ行ったとしても、料理人の顔とか、目の前にある食材がどころから来ているか、どんな想いで作られているかという、背景にあるストーリーを知ってから食べると、同じものを食べてるとは思えないというか。
よく情報やモノが溢れていると言われていますが、もしそうなら、今の時代、物語から生まれる体験や時間に、価値があるのではないかと思います。ただジャケットを着るということではなく、そのジャケットが着る人の手に届くまでにはどんな物語があるのかを知って貰うことが大切なのではないでしょうか。
物語は、デザインチームやビジネスチーム、そして販売員へと共有し、販売員がお客様たちへと伝えられるようにしなければいけない。それがデザイナーである私の役目であり、責任でもあると感じています。