60年代から70年代のヒッピー、パンクなどのムーブメントを通して、デニム素材(ジーンズ)はアンチファッションのシンボルというイメージを強めていた。しかしこのような流れの中でも、時代を表現しようとするファッションデザイナーに着実に影響を与えていた。
1977年、デザイナーとしてジーンズを取り上げたのがカルバン・クライン(Calvin Klein)。ブルック・シールズが「カルバンのジーンズと私の肌の間には何も入れない」というキャッチコピー(80年代前半)は爆発的な話題を呼び、カルバンクラインのジーンズは大ヒット。アメリカでは、他にも、グロリア・ヴァンダービルトなどのデザイナーも着心地がよい、高級感のあるジーンズを発表した。彼女は上流階級出身で、上流階級にもジーンズをアピールすることになった。
カルバン・クラインはジーンズに関して「ジーンズとはエロティシズム」と表現しました。この言葉がファッションデザイナーによるジーンズを象徴しています。カルバンクラインを始めとしてデザイナーのデニムの素材への見方は全く異なるものでした。
おさらいをすると、ジーンズは労働着や、ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)で有名なパンクファッションなど反社会的なメッセージが強かった。
対して、デザイナーのジーンズは、細身で、セクシー、カルバンクラインが表現する、エロティシズムであり、「美しい」ジーンズだった。美しさ、シルエットをいかにきれいに見せるか、そしてそのイメージ作りという点で「デザイン」されていた。
デザイナーのジーンズはリーバイス(Levi's)などが出していた、オリジナルのジーンズとは異なるもので、はいて、時間がたって徐々に自分になじんでいくというよりは、その過程を飛ばして、既に完成されたものだった。
カルバン・クラインをはじめ、70年代末から80年代にかけて、飛び火するように、ファッションデザイナーがデニム素材(ジーンズ)を採用していく。
代表例は、ヨーロッパではアルマーニ、ジャンポール・ゴルチエ、モスキーノ、アズディン アライア、ミュグレー、アメリカではダイアン フォン ファステンバーグ、ラルフ ローレン、リズ クレイボーン(Liz Claiborne)など。
その他、70年代後半には、製造業者からなる団体で、14のブランドを生み出した、ジーニアスグループが登場。このアスグループはジーンズのヴィンテージ加工技術の開発を進め、モダンジーンズとして注目を集める。実は、ここからディーゼル(DIESEL)などがデビューし、新しい時代を作っていった。
70年代後半から90年代半にかけてファッションデザイナーによって、ジーンズは急速に取り入れられていった。
1990年代半ばから後半にかけてはプレミアムジーンズが登場。アメリカ西海岸から発信された。ハリウッドなどのセレブやスターが着用したことから、セレブジーンズ(セレブデニム)などとも呼ばれる。
プレミアムジーンズの定義は難しいが、バックッポケットにそれぞれのブランドによる凝ったデザインの刺繍やプリントが入っていたり、クラッシュやペイント、リメイクなどの加工が施されていること。レディースからの流れであることからか細身で股上が浅いものが多かった。
代表的なブランドは、ディーゼルのほか、マリテ+フランソワ ジルボー、セブンフォーオールマンカインド、シチズンズ・オブ・ヒューマニティ、トゥルーレリジョン、G-STAR RAWなど。
2000年頃のブームの終焉とともに、“プレミアムジーンズ”から“プレミアムデニム”と呼ばれるようになった。
日本では、1990年代、アメカジブームとともに、ヴィンテージジーンズが流行。また、このヴィンテージブームの中で、ヴィンテージジーンズの良さを追求した国内のジーンズブランドのジーンズも人気を獲得ドゥニーム、エヴィスなどが代表的なパイオニアで、ジーンズの色落ちが多くのジーンズフリークの中で重要になった。2000年代になると、クラッシュジーンズやリメイクジーンズを発表。加工ジーンズが大きく話題となった。