映画『デスノート(DEATH NOTE)』の誕生から10年目を迎え、続編となる『デスノート Light up the NEW world』が2016年10月29日(土)に公開される。
『デスノート Light up the NEW world』の舞台は、世界的なサイバーテロが頻発した超高度情報化社会。前作シリーズで夜神月とLの物語は完結したように思えたが、彼らのDNAを受け継ぐカリスマの登場と共に、新たな壮絶バトルが始まった。
前作と大きく異なるのは、デスノートを‟追う”刑事・三島が主人公であること。物語を加速度的に進めるため、最短距離でデスノートを追い詰められる人物をメインキャラクターに据えた。
演じるのは、映画『桐島、部活やめるってよ』の東出昌大。月の父・夜神総一郎が警視庁内に立ち上げたデスノート対策本部特別チームに所属し、月について徹底的に調べあげる“デスノートオタク”を熱演する。
『デスノート Light up the NEW world』では、主人公と彼を取り巻く2人の男性、世界的名探偵の竜崎とサイバーテロリストの紫苑優輝の三者によって進行する。Lの遺伝子を継ぐ、正統後継者の竜崎は、池松壮亮が担当。“L座り”とは似ても似つかないけだるい姿勢が特徴で、新しいひょっとこのお面を被ってスクリーンに現れる。
サイバーテロリストの紫苑役には、菅田将暉が抜擢。三島や竜崎をも翻弄する狂気の天才で、かつて彼の家族を襲った殺害事件の犯人を殺してくれたことからキラを“神”と崇めている。
デスノートのルールは前作から変更されていない。原作に存在するが未だ使用されていない“6冊ルール”を採用し、戦争をやめられない人間たち、また暴力や恐怖で物事を解決しようとする人間たちといった現代の悪と向き合っていく。
前作でファンの心を捉えた、弥海砂が復活。10年後の彼女を演じるのはもちろん戸田恵梨香だ。お決まりのツインテールは編み込みヘアと変化。大人になったミサミサに、再びスクリーンで会える。
また、死神リュークはフルCGによって大胆リニュアール。肌や羽、布の質感は驚くほどリアルに表現され、圧倒的な迫力。さらに、べポ・アーマと新キャラクターも仲間入りし、物語はよりドラマティックな展開へ。
公開に先駆け、主人公・三島役に挑んだ東出昌大にインタビューを実施。『デスノート Light up the NEW world』の見どころや俳優業について話を聞いた。
これまでの『デスノート』は、怒ったり、悲しんだりという感情は全部芝居で、その裏で計算をして相手を欺こうという戦いでした。今回僕が演じた三島は、揺るぎない正義感を持っている人物。清廉潔白なゆえに許せないものは許せなくて、感情が表に出てしまう。
基本となるところが台本以外にも用意されていて、撮影に入る前、準備稿から結構な数の台本を読ませていただきました。そこには三島の過去というものが書かれていて、デスノート対策本部に来た理由や経緯も描かれていました。キャラクターの設定が詳細に決まっていたので、色々なことを考えながら役と向き合っていきました。
まず、デスノートを持つことを想定したんです。それまでは一読者、一ファンという立場だったのが、自分のすごく近い距離にデスノートがあるだけで、人間ってこんなにいろんなこと考えて、こんなに恐怖を覚えるんだって。ものすごく怖いものなんだと痛感させられ、そんなものが6冊もある混沌とした世界を現実に置き換えたら、末恐ろしいものだと感じました。
ストーリーは散々ひっくり返してひっくり返しての連続。そこがこの映画の見所だと思います。劇場に入っていただければこっちのもの(笑)。ただ演じる側からすると、この後何が起きるかわからないという環境はなかなか大変でした。
それに、セリフ量が多いのもこの物語の醍醐味。池松さんと言葉の上で、相手を威圧し合ったり押したり引いてみたりというシーンはやっていて楽しかったし、その瞬間にしか生まれないものが生まれたなって思いました。
対策本部のシーンです。池松さんと一触即発みたいなことが起こりまして。僕は「ここはこう思う」と監督に個別で伝えていて、はたまた池松くんは(同じ場面で)正反対のことを監督に言っていた。監督は二人に何も言わないで本番を始めたので、セリフでもなんでもないところで「殴れよ、おい~」みたいな状況になって、共演者が本当に止めに入るっていう(笑)。
その夜、ホテルの部屋で飲み会をしたのですが、「本当に一触即発だったね~」「いや、俺も手が出かねなかったよ」「これで手を出されたらデスノート降りようと思ってたよ」なんて話もしていましたね。
家族とは違う、仲間という意識がどんどん培われていきました。「ただいま」と言って家族と過ごすように、現場が終わって「ただいま!」と帰ってきて、ある程度素の顔になりながら、お酒を飲んでお芝居の話をして。本当に反省する部分もあれば、「このシーンどう思う?」っていう解釈を問う部分もあったり。
単純に(飲み会を)楽しんでいた部分もありましたが、一人一人との向き合い方という面であってよかったなと思うのは間違いないです。映画は、一人で引っ張るとか誰かが引っ張るものではなくて、みんなが部品になって一緒になるもの。そういう団結力というのは確実に生まれたと思います。