印象派を代表する画家、クロード・モネ。自然の移ろいを繊細に捉えた風景画で知られるモネは、その後半生、自邸の庭に造った睡蓮の池を繰り返し描いている。そして、木々や空、光が映しだされた水面を巨大なカンヴァスに描くという「大装飾画」の構想が、最晩年にいたるまでモネの心を占めることになった。こうして生みだされた大画面の「睡蓮」の数々を紹介する展覧会「モネ 睡蓮のとき」が、東京・上野の国立西洋美術館にて、2024年10月5日(土)から2025年2月11日(火・祝)まで開催される。
光や空気が織りなす一瞬の光景を描きだす、みずみずしい絵画を数多く手がけた印象派の巨匠、クロード・モネ。なかでも「積みわら」や「睡蓮」といった「連作」は、モネ作品のなかでもよく知られている。モネの「連作」とは、特定の場所やモチーフを、異なる天候・時間・季節のもとに描きだすことで、刻々と変化してやまない自然の表情を絵画へと定着するものであった。
モネが独自の連作の手法を編みだしたのは、その後半生、北フランスの村ジヴェルニーに移り住んでからのこと。この地でモネは、自邸の庭に睡蓮の池を造り、その光景を晩年にいたるまで描き続けた。こうしたなか、睡蓮の池を描いた巨大なカンヴァスによって、部屋の壁面を覆いつくす「大装飾画」の構想が芽生えることになる。その過程において、「睡蓮」を主題とする大画面の作品が数多く残されることになったのだ。
企画展「モネ 睡蓮のとき」は、モネが最晩年にいたるまで取り組んだ「大装飾画」に焦点を合わせる展覧会。世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館から、日本初公開作品7点を含む約50点を選りすぐって紹介するとともに、日本国内に所蔵される名品を一堂に集めて展示する機会となる。
第1章では、モネの関心が睡蓮へと向かい、その主題を発展させていった過程に着目。1890年、50歳のモネは、7年前に移り住んだジヴェルニーの土地と家を買い取り、これを終の棲家とした。先にふれたように、この時期にモネは、自然の移ろいを捉える「連作」の手法を確立してゆくことになる。
ジヴェルニーの自邸の庭は、すぐにモネの作品へと実を結んだわけではなかった。実際、1890年代の後半に主なモチーフとなったのは、身近な存在であるセーヌ河や、3年続けて訪れたロンドンの風景であった。なかでも、セーヌ河の景色を描いた作品では、水面の鏡像に目が向けられるなど、のちの「睡蓮」を予見するものとなっている。会場では、セーヌ河やロンドンの風景を描きだした連作を通して、刻々と織りなされる表情の変化にふれられるだろう。
モネが初めて睡蓮を描いたのは、1897年のこととされている。モネは1890年代、自邸の敷地を広げ、水辺の広がる庭を整えていた。当初、モネの焦点は睡蓮の花そのものにあり、たとえば睡蓮を描き始めた最初期の作品《睡蓮、夕暮れの効果》に見られるように、花それ自体がクローズアップされて捉えられている。
しかしその後、モネの関心は水面へと移ってゆく。池の周囲を取り巻く木々などは次第に排除され、水面とそこに映じる反射像だけが絵画全体を占めるようになるのだ。こうして、光と空気が刻一刻と織りなす多彩な表情を捉える、「睡蓮」の作品が生みだされてゆくことになった。本展では、このように「睡蓮」を描いた作品の変化をたどることができる。
第2章では、「睡蓮」の装飾画をめぐる構想の芽生えに着目。19世紀末のフランスでは、装飾芸術が隆盛しており、多くの画家が装飾画の制作に携わっている。モネもそうした画家のひとりであった。モネは、すでに1870年代には、初めて本格的な装飾画を手がけている。やがて1890年代になると、連作の表現を追求するなか、睡蓮というひとつの主題のみからなる装飾画を構想するようになった。